小雨の残る中、朝8時から集落総出で草刈り、ゴミ拾いの環境整備日でした。
財政が豊かな市町村では草刈りなどは行政が業者に発注して行っていますが、過疎化、高齢化がすすんで収入は少なく、医療福祉などに支出がかさむところは、基本的には住民が生活のサイクルの中(地域自治)で協力しておこなってくださいというのが行政のスタンスです。
私のところはそんな一つです。
山間ではありますが、田んぼの多い地域なので、農道、小川(用水)もおおく、その周辺は、4月から11月頃まで定期的な草刈りが必須。
もちろんこの時期は宅内の雑木や趣味の家庭菜園の畑もおんなじです。生活していく上で、最低限通行ができる程度に誰かが手をかけていくことになります。
手をかけなければ11月頃には枯れ上がった背丈ほどのブッシュのできあがり。
こうなると今度は冬の火災の脅威にさらされます。
車での移動が便利な社会になりましたが、田舎道の草の中からは相変わらず空き缶、コンビニの袋にはいったゴミなどがたくさんの出てきます。
驚くべきことは、酒類の空き缶が少なくないことです。
酒気帯びどころか、お酒を飲みながら運転している方も少なからずいるってことでしょうか。
そんな放置ゴミ回収も今日の作業目的でした。
自分たちの生活圏は自分たちの自助努力で維持していくというかたち。
これは◯◯講などという名称で今も私の地域にも残っています。
近世、江戸時代から先輩たちがやってきたスタイルですが、最近はそれも限界を感じています。
ひと世代、三十年前は地域はほぼみなが兼業農家で、かつ団塊の世代も若かった。
小学校に通う子供たちもたくさんいて、秋祭りも先の展望を感じさせて、地域に力をくれた。
今日のような作業日には、働き盛りの人がたくさん出てきて作業もラクラク終了でした。
ところが昨今はそのみなさんが70歳代後半以上になり、健康上の理由から、草刈りなどもできない方が多くなってきた。
当時の子供たちはりっぱな職業について、憲法に定められた納税者として、自分の家族を守りながら、国のための働いている。
でも、草深い田舎には老夫婦のみ。
一方、新しく都市部から入ってくる方はいてもこういうお付き合いはしてくれない方が多い。
街では環境整備は行政がやるんですよね。
そのために税金をはらっている。
この理屈も分からないわけじゃないし、私はまったくそのとおりと思う『働く』世代です。
高齢者と区別されて久しい私はというと、うちのグループでは若手の方。
まだ自分のペースでゆっくりならば作業はできるけれど、少人数ではとても限られた時間には終えられません。
自分の家の草対策が上手く行って時間の余裕のあるときは、いや、いつもあるんですが。
日が長いので、これからは夕方の一時、一時間くらいを道端の草刈りをするようかなぁ。
Gonくんを連れて行って木の幹に繋いでおくとこれくらいの時間ならば、自分もお手伝いをしている気になって遊んでいてくれます。
いい子に育ちました。
田んぼ付きの道端は今もそこの田んぼの耕作者が管理してくれていますが、50戸近くある集落で今も稲作をしている方は、三、四戸。
ウチもこの方たちに耕作してもらっていますが、道路、用水などの条件の悪い田んぼ、相続などの問題で貸借ができない田んぼも多らしく、原野化した田んぼは増えるばかり。
そんな田んぼの周辺は地域で刈っていくしかありません。
第二の人生、サンデー毎日になると、時間と人間関係を持て余すため、パチンコなどギャンブルにのめる人も周りに多くいます。
暇ですからね。
でも現実をみればカネはない、ここがネック。
私は第一の人生では、勝負ごとは時と場合によっては受けてきましたが、賭け事は苦手でした。
賭け事はいつも負けでした。
だから賭け事はしません。
今年はGonくんといういい子(孫みたいな)ができたので、一緒に夕方の一時、一緒に道端の草刈りをしていこうかと思っています。
このコストって、お布施かも?
ようやく人になったじゃん!て観音様の声が。。
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