(日々のこと)「もうこりた」になるほどと思う

『相葉ヒロミのお困りですカー?』という番組をいつも楽しく見ています。

彼らが一生懸命取り組む姿勢は見ていて気持ちがいいですし、その結果が地域おこしにもなっていると感じます。

今回は『世界遺産を救え!比叡山延暦寺を大掃除3時間sp』でした。

宗教=「うさんくさい」と感じる昨今ですが、宗教の根源をたどれば世界中で長く受け継がれているものは、人はどう生きるべきか、どうしたら心安らかに暮らせるかという『道徳』だと思います。

お寺は過去帳などにより地域の戸籍を守てきたところであり、困ったときに相談にいくそこに住む者の心の拠り所であり、子どもたちを教育してくれた学校であり、そして、生を終えたとき皆が集って葬る。

そこに集った孫子たちは今ある自分という存在に気づき、人として再生してゆく。

ところがお寺はお葬式仏教に特化してしまったため、お葬式の御布施や施餓鬼の御布施その後の法要=負担ばかり!ということになってしまいました。

ご円の切れ目がご縁の切れ目です。

本来ご縁を取り結ぶのが教えのはずなのに、ご円がなかったらもう終わりです!では本末転倒です。

最近はお葬式を行わないお寺というものも出てきたようですが、お寺がもっとお釈迦様の教えを伝えるという原点に帰るべきときに来ているのではないかと思っていました。

そのタイミングでの今回の放送。


修行(生活)の基本は掃除から。

「おれがおれがの我を捨てて」生きることがラクな生き方だと感じさせられました。

落語のネタのような話ですが、比叡山延暦寺には「もこりた」という教えがあるのだそうです。


感じで書くと「忘己利他」

「己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」という意味だそうです。

「おれがおれが」で肩ひじはって他から奪って自分を肥やすばかりの生き方に「もうこりた」ら、自然と道端に捨てられたゴミにも手がのび、困っている人に声をかけられるようになるのかもしれません。


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